学校概要
学校概要
荻野の豊かな自然環境の中、130年以上の歴史を持つ本校は、地域の皆様からの温かいご支援を受けながら教育活動を進めております。
私は、令和7年4月1日付で荻野小学校校長に就任いたしました 倉持 伸雄(くらもち のぶお)です。どうぞよろしくお願いいたします。令和7年度の荻野小学校は、26人の新入生を加えた177人、各学年1クラスの体制でスタートしました。教職員も大きく入れ替わりましたが、誰もが、児童の成長を第一に考え、熱意をもって支援にあたろうとするものばかりです。教職員一同、たくましい児童の育成に向け、全力で取り組んで参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
令和7年度 荻野小学校の教育「グランドデザイン」について
本年度も、「荻野の歴史や自然、人とのかかわりの中で、地域の教育力を活用した、地域と共に歩む教育活動」を理念に、「たしかな力と、豊かな心をもつ たくましい児童の育成」を教育目標に掲げております。
目標に挙げた各言葉については、それぞれ次のようにとらえております。
⚪たしかな力(めざす児童の姿は「よく考え自ら学ぶ子」)
知識や技能、それらを活用した思考力、判断力、表現力など「学力」と言われる力だけでなく、日常の様々な場面で「なんでだろう?」「なぜだろう?」と感じる力や、いろいろ試したり、うまくいかなかったりしても粘り強く取り組む力なども含めてとらえています。
⚪豊かな心(めざす児童の姿は「自他を大切にする子」
日常の様々な場面で自分なりに感じることから自分の思いをもてること、それを人と上手に分かち合い、自分の思いも他の人の思いも尊重しながら、共に前に進もうとする姿ととらえています。
⚪たくましい児童
たしかな力(知)と豊かな心(徳)を支える、健やかな身体としてのたくましさだけでなく、たしかな力を自らにつけるために、挑戦し、あきらめずに取り組むたくましさ、仲間の挑戦を励まし支え合う集団としてのたくましさ、なども含むものととらえています。
その精神を表す【自他尊重】という言葉を、児童と教職員で共有しています。
「何を学ぶか」「どのように学ぶか」という点においては、「対話」を重視します。
この「対話」には、友だちとの対話、教師との対話など、自分以外の人との交流における対話だけでなく、自分自身の心との対話も含めてとらえ、自分の思いをもつこと、主体性を育むよう努めます。
そのような教育活動を進める中で、学校だけで子どもたちに安全で充実した教育を授けることは難しい時代になっております。家庭・保護者との連携、地域・関係諸機関との連携は欠かせません。グランドデザインに示しました通り、本校にはたくさんの支援の手をいただいているところです。私自身、全児童を「たくましく」育むことができる学校づくりを目指して、精一杯努力して参りますので、引き続き、保護者の皆様・地域の皆様のご支援・お力添えを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
荻野小学校の教育「グランドデザイン」
本校の校章は、はじめは「荻」という一字であったが新しい時代にふさわしい校章にしたいという願いから、昭和28年に現在の校章に作りかえられました。
昔、このあたりに繁茂していたという植物「荻」の姿をとり入れ、荻野の子どもたちが「荻」という植物のように素朴で力強く成長していくようにという願いがこめられています。
荻野小学校の前身
江戸時代の上荻野村には、松石寺の元住職による寺子屋「聚石庵(しゅうせきあん)」がありました。一方の中・下荻野村には、荻野山中藩の陣屋があり、その一画に藩校である「藩学館興譲館(こうじょうかん)」がありました。
明治時代となりそれぞれ、寺子屋「聚石庵」は上荻野学校に、藩校「興譲館」は山中学校となっていきます。そして、明治20年3月に二つの学校が統合され、ほぼ現在の地に荻野小学校が誕生します。同時に、上分教場・下分教場も設置されました。
至誠
「非常に誠実な心、まごころ」という意味で長い間、学校の玄関に掲げられています。
正四位勲三等 小野澤龍吉氏書
はじめ荻野小学校の教師をしており、のちに検事の試験に合格して法律家の道にはいられました。
第一期卒業生 森屋太吉氏寄贈
荻野村立荻野小学校高等科を明治20年3月卒業後、東京日本橋で牛乳店を開業し、牛乳の低温殺菌法の開発に成功したそうです。
校門
学校の正門に立派な花崗岩の門柱があり、「誠実・創造・努力」という字が彫刻されています。これも昭和7年小野澤龍吉書 森屋太吉寄贈と記されています。
トンネル門には、明治43年11月2日、寄贈三橋吉十郎氏と彫ってあります。
くすの木
「明治32年3月、三橋泰治郎氏寄付」と碑に刻まれているので、樹齢120年以上です。
前史
江戸時代、上荻野村字下峰において、松石時の元住職道寧和尚が寺子屋「聚石庵(しゅうせきあん)」を開講し明治6年まで継続。その後上荻野学校となる。
同じく、中荻野村(現下荻野)字山中に荻野山中藩陣屋が置かれ、その一画に藩校「藩学館興譲館(こうじょうかん)」があった。明治維新後は、荻野山中藩立興譲館、荻野山中県立興譲館と呼ばれ、明治6年以降山中学校となる。
明治6年06月
上荻野字源氏河原に小学静学館第二支校をひらく、その後上荻野学校と改称(明治9年頃)
明治6年07月
下荻野字山中に荻野山中藩立学館興譲館を校舎にして学校とし、後に山中学校と改称
明治20年03月
上荻野学校と山中学校を合併し、ほぼ現在の地に荻野小学校を創立する。併せて上分教場・下分教場を設置
明治21年04月
上荻野村・中荻野村・下荻野村の3村が統合し、荻野村となる。荻野村立荻野小学校となる
明治25年01月 荻野村立尋常高等荻野小学校と改称
大正12年04月 神奈川県愛甲郡荻野尋常高等小学校と改称
昭和16年04月 校名を神奈川県愛甲郡荻野村国民学校と改称
昭和19年 横須賀市衣笠国民学校児童253名疎開を受け入れ
昭和22年04月 神奈川県愛甲郡荻野村立荻野小学校と改称
昭和28年12月 校旗制定
昭和30年06月 給食室改造、給食を開始する
昭和31年09月 町村合併、神奈川県厚木市立荻野小学校と改称
昭和32年03月 創立70周年記念式典挙行、校歌制定
昭和39年06月 プール完成
昭和42年02月 創立80周年記念式典挙行、全教室にテレビ設置
昭和48年08月 下分校を廃し、新設三田小学校へ合併
昭和51年11月 全国日本健康優良学校受賞
昭和52年04月 児童増に伴い、鳶尾小学校分離新設
昭和52年08月 鉄筋4階建校舎完成(本館)
昭和55年04月 児童増に伴い、上荻野小学校分離新設、上分校を廃す
昭和60年08月 プール新設、縦25m、横13m
昭和61年03月 増築校舎鉄筋4階建2号棟落成
昭和61年08月 鉄筋2階建特別教室3号棟落成
昭和62年02月 創立100周年記念式典挙行。
希望の塔建立、記念庭園造園、記念誌発行
平成03年10月 コンピュータ教室設置
平成04年03月 校庭整備(スプリンクラー設置)
平成05年 全国野生鳥獣保護校功労表彰
平成07年10月 全日本よい歯の学校特別賞受賞
平成09年03月 創立110周年記念として、桜の若木10本植樹
平成10年11月 全日本学校歯科優良校受賞
平成12年11月 1号棟校舎耐震工事完了
平成13年07月 職員室・校長室エアコン設置
平成14年09月 家庭科室改修工事完了
平成14年09月 屋外便所・飼育小屋・スプリンクラー受水槽移設工事完了
平成15年02月 給食調理場完成
平成15年06月 自校給食開始、給食調理場完成記念式典挙行
平成17年03月 教室改修工事、正門改修工事
平成19月04月 学区再編、みはる野2丁目を上荻野小へ
平成21年04月 学区再編、鳶尾4・5丁目を鳶尾小へ
平成21年08月 本館トイレ改修工事
平成23年03月 「荻野児童クラブ」落成
平成28年09月 校舎管理棟の補修及び外壁塗装(若草色からベージュ系に)
平成29年01月 普通教室にエアコン設置
平成29年02月 創立100周年タイムカプセル開封・公開。
ゆずりは石碑に記録追加
平成29年09月 東棟外壁・屋上改修工事
平成30年03月 体育館外壁・屋根改修工事
令和元年08月 体育館床塗装工事